若い世代が語る、先祖供養-愛した人を、いつまでも偲ぶ心を“形”に-

墓を創り続けて100年――

讀賣新聞

生まれて正しく生きた証しとして
生きている人々は、亡き人の墓に花を供え、
香をたむけ手を合わせる。
墓は亡き人のためのみでなく、
生きている私たちにとっても
大きな安らぎの場を与えてくれる。
墓という具体的な形によって、
生きていく喜びが味わえるのも
人間の知恵の一つかもしれない。
時代と共に供養の形は変わる。
しかし亡き人や先祖を偲ぶ心に変わりはないだろう。

須藤石材株式会社の記念企画では、今に受け継がれる供養の心を、
同社の記念祝賀会に駆けつけてくれたお二人に、若い世代を代表して語っていただいた。


柳家花緑(落語家)

柳家花緑1971年東京生まれ。
母方の祖父が人間国宝であった故・五代目柳家小さん、
兄はダンサーの小林十市。
16歳で祖父・小さんに入門。
‘94年に異例の早さで真打ち昇進。
昇進時の22歳は戦後落語会最年少。
子朝、志の輔、昇太、鶴瓶、正蔵と「六人の会」を持ち、落語の振興に努める。
落語会はもちろん、テレビ、ラジオ、映画、舞台など幅広く活躍。
著書・対談集に『柳家花緑と落語へ行こう』『東西落語がたり』『僕が落語を変える』など。


―― 墓前に感謝の心を伝え 活き活きと生きる ――  

“柳家小さんの孫”に改名したいくらい(笑)  

僕は9歳で落語を始め、祖父である柳家小さんと、弟子と師匠という関係になりました。祖父は真の人格者で、全体のことを慮り、言葉は少なく実践する希有な人でした。ただ、18歳で前座修行を経て二ツ目に昇格した頃は、自分の置かれた環境を相当うらみましたね。22歳で戦後最年少の真打になった時も、二重の重荷でした。“七光”と揶揄されることもありましたが、師匠は「そんなことはない! 孫だから十四光だ」と洒落半分で僕を勇気付けてくれた。そして周囲の人やお客さんの支えの中、物事の捉え方も肯定的になり、「起こる事象に良いも悪いもない、そう思う自分の心があるだけだ」と気付きました。今では身近に尊敬できる一番の教師がいたことを心から感謝しています。“柳家小さんの孫”と改名したいくらい(笑)。

祖父は僕が30歳の時に亡くなりましたが、命日を含め年に数回お参りに行きます。そんな時には、お願いをするよりは、「ありがとう」を伝えに行く意味合いが大きいですね。

 「芸は道なり」 人生の達人になりたい  

落語は一人演劇。何役もこなし、セリフ一つでどんどん場面が飛んでいく、よく出来た芸能です。ただ、一人で全てをやるので語る人間に魅力がないと総崩れに。「芸は人なり」と祖父はよく口にしていましたがそういう意味でも、落語の達人になる前に、人生の達人になりたいですね。目の前にあることや現れた人を大切に。この最大テーマを忘れずに、多くの人が喜んでくれることを実践していきたいです。


北山たけし(歌手)  

北山たけし(歌手)1974年福岡県生まれ。柳川市で育つ。
父の教えで4歳から歌い始め、9歳の時「ちびっ子のど自慢」優勝。
これを皮切りに数々のコンテストに優勝。
柳川高校を一年で自主退学して上京。
北島音楽事務所の門を叩くが叶わず、
21歳の時再び同事務所を訪ね、遂に内弟子に。
8年間の付き人修行の後、昨年「片道切符」でデビュー。
新人デビュー曲としては異例の大ヒットを記録。
数々の新人賞に輝く、期待の新星。
現在、「男の出船」がヒット中!

―― 亡き母さんのために御影石のお墓を建てたい ――

毎日手を合わせて母さんに語りかける  

6年前に母さんが旅立った時、死に目には会えませんでした。「仕事を全うしろ、母さんもそれを望んでいる」と父さんから電話があったのです。北島三郎師匠の付き人として8年、そして昨年デビュー、その間はほとんど故郷に帰っていません。手を合わせるのは子供の頃からの習慣になっていて、舞台に上がる前や事あるごとに手を合わせています。厳しい父さんとの間に立って、「今は辛抱しなさい。我慢して頑張った分だけ、大人になったらいいことがあるから」といつもかばってくれた母さんでした。今日はこんなことがあったよ、見守っていてねと毎日話しかけているのです。  

今は「男の出船」一筋 魂を込めて歌います  

北島三郎という大看板をいただき、ファンの皆様に支えられて、昨年は日本レコード大賞、日本有線大賞の新人賞をいただきました。今年は一人立ちして歩いていく年。紅白という夢はありますが、それ以上に応援して下さった方々と笑顔で年を越せるよう、結果を出していきたいと思います。ですから今は「男の出船」を魂を込めて歌い続けます。大きな目標としては、やはり師匠。演歌界のトップとして、辛いときも楽しいときも共にある歌を歌っていきたい。  

今年のお盆は久しぶりに故郷の柳川に帰り、納骨堂の母さんに手を合わせてきました。実は私の家にはまだお墓がありません。ですから出世できたら、まず母さんのために、そしていつかは旅立つ自分のために、黒い御影石の墓を建てたいと思っています。


ご挨拶

―― 社 訓 ――

目に見えない御霊に、お仕え出来る者は幸せだ。
お客様には、一にも親切、二にも親切。


今年、弊社は感謝を込めて創業100周年を迎えることになりました。  

創業者・須藤伊左衛門が石材業を生業とした時から、100年の歳月が流れました。  
明治後期から平成の今日まで、石材業一筋に徹して来れましたことは、創業者夫妻の創業の精神を社訓としてかたくなに守ってきた賜物であると考えております。 出会いを与えて下さいましたひとりひとりのお客様に対し、感動と感謝をいただきましたこと、心からのお礼を申し上げます。

苦難と精進の道を歩んだ先人達、弊社を今日まで支えて頂きました全国の宗教法人・霊園経営法人・多くのお取引先の方々のご理解無くして、弊社の100年を語ることは出来ません。心からの感謝を申し上げます。
今後も今まで以上のご支援、ご協力を賜りたいと思う次第です。  
創業の精神は絶対に変えないがそれ以外は、変えることに躊躇せず、信頼・信用を柱に健全なる“安らぎ産業”の発展のための一翼を、これからも担ってゆきたく存じます。  

次の時代を引き継ぐ若い人達が、向上心と強い精神力を備えた人物に育つ200年に向けての明日であってほしいと願うばかりです。  

そして、いつの日も正々堂々と正道を歩み、社訓の実践を忘れず、一段と努力して参ります。

須藤石材株式会社 代表取締役社長
須藤貞夫

 

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